記憶 固執1
我々はどうして、そんなにも一つのものに固執してしまうのだろう。
幸せが落差で計られるとすれば、幸せの頂点は、大きな重要な尺度の一つとして記憶される。
その固執は想像以上のもので、神様が与えてくれた慈悲も、仏様が与えてくれた充足も
そんな概念を壊してしまう。
一度覚えたその味を忘れることはない。
オーディオの師匠であった五味康裕に言わせればこうだ。
「今まで最高と思っていたラジカセの音も、一度大きなスピーカーで聴いてしまった後は
まったく満足することはなくなる。
オーケストラで本物の音を聴けばなおさらだ。」

オーディオファンでなければ、こんなアンプは買わない。
マッキントッシュはPCの名前でなくアンプの名前であってアップルとは全く関係ない。
そんなことを思いつくのは、この音に固執している限られた人間だけである。
しかし、固執はどこにでもある。
その固執が、異常なまでに、何かを追い求めてしまうのだ。
人間は満足することを知らない生き物である。
だから固執の頂点を基準にして物事は計られる。
たとえば

古河電池(6937)を610円で買った。
第3波に入る前だ。
大きな相場は5波を形成する。
その5波が一番大きいのだ。
でも、動かなければ、逃げればいい、多少の損切りでもいい。
なにせ相場の材料は自動車電池しかない。
期待は大きい。
・・・・・・・・・・・・・
そしてこの銘柄はその後

629円となった。
買値から19円上がっている。
しかし。
1690円まで上がった記憶が残っているのなら、それは利食いとは言えない。
利食いではあるが、辛い思い出である。
利食いなのに、なにも失っていないのに、自分の世界は悲劇を迎えている。
高値覚え。
『恋をして恋を失った方が、
一度も恋をしなかったよりマシである』
アルフレッド・テニソン (イギリスの詩人)
本当にそうか。
EXCELの関数式に
ABS"幸せ" と
ABS"不幸"をいれて
ABS"幸せ" < ABS"不幸" となるなら
その記憶は不幸をつさかどるだけだ。
五味康裕はこう言っている。
音でなく音楽を聴きなさい。
絶対知的な幸福でなく、充足する幸福とは何か。
天井でなく、過程とはなにか。
人間はそれでも固執するように出来ている。
天井を見なければ固執もない。
そしてそれでも天井を求める。
トレードで足るを知る、のは難しい。
それは、記憶との、固執との戦いとなるからだ。
高校生の時、ある朝、友人が新聞の切り抜きを持ってきて叫んでいた。
”妥協中毒”
妥協が蔓延しているという。
妥協は堕落への道のりだ。
その言葉が今も頭を離れない。
それは良いことなのか、悪いことなのか、今もまだ分からない。
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つづく。
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